八丈島:牛を悲しませないで
そうは言っても「もうすぐ今日がおわる♪」わけにはいかないので、気を取り直して今日という日を楽しむことにした私達。
旅の醍醐味は「悔い」である。これが私達の旅における共通認識だ。
悔いがあることで、また来たいと思える。一回の旅で満足してしまえば、その場所はそれ限りだ。
八丈島では実にすばらしい悔いが残った。
大分運動会ネタを引きずりすぎた。
2日目はというと、まず「ふれあい牧場」へ向かう。
私は牧場が大好きだ。牧場が近くにある街で育ったからだろうか。
しかも「ふれあい牧場」、なんてすばらしい名前なのだのだろう。
私は運動会のことも忘れ、嬉々として牧場へ向かう。地獄の牧場が待っていることも知らずに。
牧場へ向かう道中、段々不安になってきた。車で八丈富士を登っていくのだが、悪天候のせいか霧がすごい。
本当に牧場があるのか?山を登るにつれて死が近づいているようにすら感じていた。
「←ふれあい牧場」という案内板を見つけた。死へと誘われている。
八丈富士の中腹で地獄に到着した私たち。
無駄に広い空間に、まばらに散らばる牛たち。みなうつむいている。
「うしー!」と読んでみても反応がない。
私の地元にある某M牧場の、人間慣れしている牛たちと比較してしまう。
そしてここに人はいなかった。スタッフ、飼育員さえも見当たらない。
ただそこに牛が生きているだけだ。ふれあいの「ふ」の字もない空間だった。
八丈島はジャージー牛乳が有名であるにもかかわらず、ここには肉牛しかいないことも不思議だった。
「これは何かの間違いだったのだ」と思うことにして、早々に牧場を後にする。
なぜ牛たちはあんなにも悲しそうな顔をしていたのだろうか。