死んだ亀

デッドタートル

キューバ:これこそがSNS

キューバでは民泊文化が根強いらしい。ホテルは国営で値段の割にサービスもよくなく数も少ない。そこでキューバ国民は小銭稼ぎもかねて家を観光客に貸し出すのだそうだ。社会主義とは不思議だが、いまさら民泊がはやっている日本を考えると資本主義も不思議なのかもしれない。

 

旅先では高度な身体性を伴う観光客的行為を追い求めるたちの私は、もちろん民泊だ。初日の宿くらい決めておこうと、日本からキューバのレトロな民泊サイトを漁った。予約ボタンを押してみても何の連絡もなかったり、予約できたのに渡航数日前に勝手に断られたり、キューバの民は世知辛い。

そんな経緯を経てやっとの思いで見つけた宿”Casa Novo”。たどたどしい英語で何度かやり取りをしていたので安心だ。トロントにいたキューバ到着前日に、キューバにもっていくとよいものリストなどを送ってくるあたり、日本は地球の反対側だよっておしえてあげたいくらいだったが。

 

震えた指で呼び鈴を震わせ、低音の”ピンポン”が鳴り響く。キューバの民家に潜入するのであった。コロニアル風建築とかいう、要は昔のスペイン的建築物なので、天井が無駄に高く、バルコニーもあって開放感がすごい。昔のスペイン人はどれだけ身長が高いのかなんて思いながらおうちの人にひとしきり説明を受けた。

あとでその説明者はこれまでやり取りをしていた家主ではないことが判明したのだが、キューバの民家には得体のしれないおばさんがたくさんいたりする。父・母・娘・息子・おばさん。これが典型的キューバの家族像なのかもしれない。

得体の知れないおばさんたちの国、キューバである。

 

荷物を部屋に置いて、軽装で街へと繰り出す。砂煙がすごい。アフリカの大地かあるいはスラムだ。街を歩くと突然ごみ放棄スペースが現れる。道中がゴミだらけだ。どうやらスラムのようだ。鼻くそを確実にため込みながら街を歩いていく。

 

キューバの街を歩いていると必ずといっていいほど家の前でたたずんでいる人々に話しかけられる。まず彼らは必ず家の前でたたずんでいる。時には玄関の外にスピーカーを置いて爆音を楽しんでいる。家の中はあれほど開放的なのにも関わらず、だ。彼らの開放欲は底知れない。そりゃあアメリカから解放されたくなるだろう。

 

「チーノ??」

「NO!ハポネス!」

 

いったいこのやり取りを何度繰り返しただろう。

何かを売りつけるでもなく、物乞いするわけでもなく、「中国人か?」と聞いてくる。そのコミュニケーションに驚いた。コミュニケーションは手段だと、何か伝えたいことがあって、それを相手に伝える、そういうものだと思っていた。でも、彼らはただただ交流を求めていた。よく考えたらLINEで意味もなくスタンプを送りあったり、中身のないやり取りを繰り返したり、我々のやっていることも同じなのかもしれない。

家の前で何をするでもなくたたずみ、通りがかった人に意味もなく声をかける。これこそがソーシャルネットワーキングだ。「チーノ?」のスタンプばかり送られるとさすがにブロックしたくなるけれど。