キューバ:元巨人オビスポ
マシンガンのようにキューバの衝撃をぶつけられ続け疲弊した我々は、
一旦宿に戻って眠りについた。
キューバの夜を全力で楽しむためだ。
目が覚めた時はすでに日が暮れていた。
スラムも暗いと幻想的な景色に変わるものだと思いながら、
ごみのにおいに鼻をつまみつつ旧市街の中心地へ向かう。
オビスポ通り、そこへ行けば夜が楽しめそうな雰囲気だとガイドブックに記されている。
元巨人のオビスポ投手のことを思い出しながら、そういえばキューバでだれも野球してないななどと訝しがっていると到着した。
オビスポ通りでの我々の最大のミッションは宿を探すことだった。
我々の旅は6泊の予定で、翌日から2泊は第2の都市「サンチャゴ・デ・クーバ」で過ごすこととなっていたので、4~6泊目のハバナでの宿を探したかった。
最初の夜は日本で予約していたのだが、残りは現地で直接交渉しようとしていた。
オビスポ通りには宿がたくさんあったので、よさげなところに入っては空いているか聞いて回った。
とあるキレイ目な建物があり、1階がお土産屋、その奥の階段で上がったところにカーサがあった。早速入って空いているか聞いてみた。
英語が全く通じない… 日本の幼稚園児でも知っていそうな超基本単語でさえ。
絶望がこんにちはしていたが、幼稚園児レベルのスペイン語を振り回し、なんとか交渉が成立した。1泊2500円くらいだった。
ちなみにこの時交渉した若い夫婦かカップルのような男女二人もまた、家主ではないのであった。
その後謎のノリで葉巻を売りつけてきた。透明な袋に雑に入れられた葉巻。
怖くなって全力で断って逃げてきた。
こうして安心を手に入れた我々は、キューバの夜を満喫するため街に繰り出した。
オビスポ通りを歩いていると、次から次へと陽気な音楽が流れてくる。
光に集まる虫のように、相方はほいほい引き寄せられていく。
行く店行く店でモヒートを楽しみ、チップを払い、キューバ人夫婦の熱烈なキッスとダンスを見せつけられたのだった。
3軒ほど回って身も耳も心も満たされたので、宿へ戻った。
そういえば最後におしゃれなアイスクリーム屋さんがあったので、適当に買ったアイスが絶望的な味だった。
世界の子供たちに夢と希望を与えているアイスクリーム。キューバでは違うのかもしれない。
こうしてキューバ1日目を終えた。翌日に期待を膨らませながら。
キューバ:食事をしない国
おなかがすいてきた。時間は13時だ。
ご飯を追い求め街を歩く。どこにもお食事処がない。キューバの人はお酒を飲むばかりでほとんど食事をしないらしい。街にはバーとカフェしかない。
餓死の恐怖を感じながら路地の一角に小さなお店を見つけた。
恐る恐る突入してみると4人掛けテーブルが3つあるくらいの小さなレストラン。客は一人もいない。高まる恐怖に立ち向かいながら、店員さんに声をかける。英語が全く通じない。さすがアメリカと国交を断絶していただけのことはある。
メニューもないので全く食事にありつけそうにない。困った店員さんが奥の別の店員さんを呼んだ。英語の話せる人がいるんだとわずかな希望をいただいたが、それ以上の衝撃が待っていたのであった。
キッチンで髪をあらっていた。びしょ濡れの長髪をタオルで拭きながらその女性が話しかけてきた。恐怖だった。そして英語は通じなかった。
スペイン語でぺちゃくちゃ話してきたので、”OK”といったら納得してくれた。何かを注文できたようだ。”ドス・セルベッサ”も忘れずに伝えた。相方はスペイン語をほぼ勉強しなかったが、”セルベッサ”だけはおぼえていた。ビール2つ、注文した。
やっと出てきた飯。茶色いご飯にもやしと草が入ったチャーハンのような飯。髪を洗ったキッチンで作った飯。キューバでの最初の飯。恐怖の飯。
だが空腹に勝つものはないようであっさり完食してしまった。案外うまい。そして150円。安い。
これから1週間、毎日これを食べるのかと思うと気が遠くなったが、150円なら十分すぎる食事だった。
連続で襲い掛かる衝撃につかれた我々は、いったん宿に戻ってお昼寝をしよるにそなえることにした。
お店を出るころには、あの店員の髪の毛も少し乾き始めていた。
キューバ:これこそがSNS
キューバでは民泊文化が根強いらしい。ホテルは国営で値段の割にサービスもよくなく数も少ない。そこでキューバ国民は小銭稼ぎもかねて家を観光客に貸し出すのだそうだ。社会主義とは不思議だが、いまさら民泊がはやっている日本を考えると資本主義も不思議なのかもしれない。
旅先では高度な身体性を伴う観光客的行為を追い求めるたちの私は、もちろん民泊だ。初日の宿くらい決めておこうと、日本からキューバのレトロな民泊サイトを漁った。予約ボタンを押してみても何の連絡もなかったり、予約できたのに渡航数日前に勝手に断られたり、キューバの民は世知辛い。
そんな経緯を経てやっとの思いで見つけた宿”Casa Novo”。たどたどしい英語で何度かやり取りをしていたので安心だ。トロントにいたキューバ到着前日に、キューバにもっていくとよいものリストなどを送ってくるあたり、日本は地球の反対側だよっておしえてあげたいくらいだったが。
震えた指で呼び鈴を震わせ、低音の”ピンポン”が鳴り響く。キューバの民家に潜入するのであった。コロニアル風建築とかいう、要は昔のスペイン的建築物なので、天井が無駄に高く、バルコニーもあって開放感がすごい。昔のスペイン人はどれだけ身長が高いのかなんて思いながらおうちの人にひとしきり説明を受けた。
あとでその説明者はこれまでやり取りをしていた家主ではないことが判明したのだが、キューバの民家には得体のしれないおばさんがたくさんいたりする。父・母・娘・息子・おばさん。これが典型的キューバの家族像なのかもしれない。
得体の知れないおばさんたちの国、キューバである。
荷物を部屋に置いて、軽装で街へと繰り出す。砂煙がすごい。アフリカの大地かあるいはスラムだ。街を歩くと突然ごみ放棄スペースが現れる。道中がゴミだらけだ。どうやらスラムのようだ。鼻くそを確実にため込みながら街を歩いていく。
キューバの街を歩いていると必ずといっていいほど家の前でたたずんでいる人々に話しかけられる。まず彼らは必ず家の前でたたずんでいる。時には玄関の外にスピーカーを置いて爆音を楽しんでいる。家の中はあれほど開放的なのにも関わらず、だ。彼らの開放欲は底知れない。そりゃあアメリカから解放されたくなるだろう。
「チーノ??」
「NO!ハポネス!」
いったいこのやり取りを何度繰り返しただろう。
何かを売りつけるでもなく、物乞いするわけでもなく、「中国人か?」と聞いてくる。そのコミュニケーションに驚いた。コミュニケーションは手段だと、何か伝えたいことがあって、それを相手に伝える、そういうものだと思っていた。でも、彼らはただただ交流を求めていた。よく考えたらLINEで意味もなくスタンプを送りあったり、中身のないやり取りを繰り返したり、我々のやっていることも同じなのかもしれない。
家の前で何をするでもなくたたずみ、通りがかった人に意味もなく声をかける。これこそがソーシャルネットワーキングだ。「チーノ?」のスタンプばかり送られるとさすがにブロックしたくなるけれど。
キューバ:キューバとはどこにあるのか。
自分がキューバにいるという現実が信じられない、理解できない。
おそらくあれはキューバではなかったのかもしれない。
だって前情報ではキューバでは入国審査に1時間、荷物受け取りに1時間、両替に1時間かかると聞いていた。社会主義ではかくも人間が堕落するのかなんて思っていた。
ところが、実際はスムーズとまで言えないがいわゆるラテン国のノリだった。入国審査は確かにきれいなCAのお姉ちゃんに見とれていたらガンガン追い抜かれ、数十分を要したが、スーツケースはすぐ出てくる、両替もさほど時間がかからなかった。
おそらくこれはキューバではない。あるいは、先駆者たちがキューバを自らのものとすべく吹き込んだ嘘が流布しているか、のどちらかだ。
(両替に並ぶ様子)
Japaneseが頑丈なスーツケースと潤沢な資金を携え、海外旅行最初で最大の難関、タクシーに立ち向かうのであった。
なぜ怖い思いをしてタクシーに乗らねばならないのかさっぱり理解できないが、海外のタクシーはこわい。ネットで調べた安くタクシーに乗る方法をいくつか試すもあえなく挫折し、できる限り気弱そうな運転手をさがして観光客価格で乗り込む。
いくら気弱な運転手だとはいえ、何があるかわからない。常にスマホのマップで現在地を追いながら旧市街へ向かうのであった。オフラインでも現在地がわかるなんて恐ろしい限りである。
オフラインマップと車窓を交互に眺める。絵にかいたような原色のクラシックカーがものすごい物音を立てて走っている。まるで中国人観光客のダウンジャケットの色と同じような色使いだ。中華大原色集団はアメ車であり、アメ車は中華大原色集団なのである。絵具はあまり混ぜないで使うタイプなのかもしれない。
キューバというカリブ海の島国で中華人民共和国に思いを馳せているうちに、タクシーは停車した。キューバの旧市街の1角、今夜泊まる予定の宿である。時間は昼の11時。想像を絶するほどの砂煙が立ち込めていた。
キューバ:なぜキューバに行くのだろうか。
トロントのホテルで暖かい夜をすごした我々は、翌朝、晴れ渡る青空をキューバ行きの飛行機で切り裂いていった。
キューバへ向かう飛行機では、となりのカナダ人観光客の貧乏ゆすりがずっと気になったが、彼もキューバが楽しみで仕方ないのだろう、とそう思うとなんだか微笑ましくなった。誰だってキューバの前では、純朴な少年少女に戻れるのかもしれない。どこか人間の原始的な何かをくすぐる場所、それがキューバに抱いていたイメージだ。
キューバに行くことが決まった後、友人や同僚などの周囲の人にキューバに行くことを話すと、「なぜキューバに行くの?」「キューバで何するの?」と記者会見のごとく怒涛の質問責
めにあった。そのたびに、まず人は理由があって旅をするのだろうか、と前提から疑いたくなったのだが、確かに数ある休日の過ごし方から旅を選び、数ある国や地域の中からキューバを選んでいるのだから、そこには何かしらの理由があるのだろう。
「広告がない」「資本主義につかれていない人々のくらし」「往年のアメ車」「葉巻」「ラム酒」…キューバの魅力を人々はそう語る。
もちろんそれらは魅力的だし、楽しみにしていたものだった。だけど、私がキューバにいく理由はそういうものとは何か違う気がする。おそらくは直感的かつ直観的に決めたんだろうが、むしろキューバに行く理由を求めてキューバに行くような感じさえあった。そこに行けば、”何か”見つかるようなそんな期待をいただいていたのかもしれない。
そうこうしているうちにキューバは近づく。ただ、我々のキューバ行きの最後の障壁、「ツーリストカード」がまだ立ちはだかっているのであった。どうやらキューバは我々を「観光客」と認めるための証明書を求めているのだ。キューバ人でないことは一見明白であるのに、だ。全く理解できないが、その証明書を入手するには、日本のキューバ大使館に行くか、エアカナダの機内でもらうか、しかなかった。こんな2択あってよいものだろうか、さすがキューバである。
日本にいる間に、相方がエアカナダに電話をし、機内で確実に配布されることが確認できたので、我々は大使館に行くこともなく、丸腰で向かっていた。確認が取れていたとはいえなかなか配られない「ツーリストカード」に不安が高まっていた。
最後の最後、キューバにあと30分にもなろうかというところで配布されたその「ツーリストカード」、紙一切れにこんなにありがたみを感じたことはこれまでなかった。
観光客としての証明書を手に、満を持して降り立った。キューバの地に。2017年も残り2日となった日のことである。
キューバ:googleにできる旅はしない
我々は羽田空港の吉野家で最後の日本食を満喫した。なぜだろう、キューバ旅行で死を覚悟していたので、むしろ最期の日本食として吉野家を食していた。「人生最期に食べるなら~?」という陳腐な質問は、いつも私を苦しめるのだが、結局のところ、最期の食事という圧倒的な重みに耐えうるものなんてそうそうなくて、むしろ吉野家くらいがと言っては失礼だが、吉野家こそがちょうどバランスがとれるような気もした。
出国審査を終えた私たちは、免税店で靴を買った。フェラガモの靴だ。税金が免除されるうえに、謎のセールも相まってほぼ半額で買えたそのフェラガモの靴に、相方も喜んでいた。出国審査という形式的なハンコ一つで、税金が不要になる、という人間の作り上げた仕組みについて考えをめぐらす機会になった。あのハンコは私たちを日本国という徴税主体から解放する「免税符」なのだ。旅の出発時点で荷物が増えるということを除いては、素晴らしい仕組みだ。
エアカナダ機内では、Canadian Lagerを飲むという典型的な観光客的行為を実践し、往路の飛行機で寝不足に陥り体調を崩すというありがちなミスを犯さないよう、早々に眠りについた。キューバがもうすぐ先に近づいているという事実が心を躍らせたが、どれだけ心が躍ろうが、というよりむしろ心が躍り疲れたからか、ナイアガラの滝よりはるかに深い眠りについたのであった。
そういえば、トロント乗り継ぎでキューバに行くことが決まった時、トロントの空港から2時間ほどでナイアガラの滝がみられるということを知り、ナイアガラの滝まで行くか、迷った時期もあった。結論としては、「夜中に凍った滝を見て意味ある?」という一言で、あったかいホテルでゆっくり過ごすことに決した。昔から観光地へ行って建造物や自然的造形を楽しむといった旅に興味はない。googleで「ナイアガラの滝」と打ち込めば、滝に流れる水の分子ほどそんな写真は出てくるし、わざわざ行かずとも楽しめるからだ。googleにできる旅はしない、それもまた私の旅のモットーなのかもしれない。
そうこうして、-13℃のトロントへ降り立った。人生再寒の体験は、まず呼吸をすることすら困難に感じた。こんな地で生活している人々の気が知れないし、ますます常夏のキューバを心から欲した。体が芯から冷え切った後に温かいお風呂に入りたくなるように。トロントのホテルで薄くお湯をため、暖をとったことは言うまでもない。
キューバ:なぜ旅行は準備が楽しいのだろうか。
2017年後半、当方の中には空前絶後のキューバブームが巻き起こっていた。
本、雑誌、SNS等ありとあらゆる媒体がキューバ旅行をけしかけてきた。アメリカと国交を回復してしまった今、「キューバ」を満喫できるのは今しかないと囁いてくる。今を逃すともう二度とキューバに行けることはないと、謎のプレッシャーを感じていた。
そんな焦りの中、早速相方を口説き落とし、上司に残酷な休暇宣言を告げ、キューバへの渡航を現実のものとした。2017年末から2018年初の旅程。
それからというもの、イワシの大群が大魚の体をなすように、私の生活のありとあらゆる部分がキューバへと向かっているのを感じた。
私は旅をするときに決まってすることが一つある。それは、現地の言語を多少なりとも勉強することだ。現地の人と、現地の言語で会話することで、何か壁が一つ取っ払われ、「観光客」という仮面が取り外され、人と人との純粋なコミュニケーションが可能になる、あるいは、それに少しでも近づくことができると信じているからだ。旅行が決まったその日から、スペイン語の入門書を買い、アルファベットから勉強し始めた。毎回のごとく、仕事、旅行準備、忘年会…など使い古された言い訳を並べて完全修得に至らないのであったが。
全力の準備を積み重ねたキューバへの渡航は、あっという間にやってくるのであった。キューバへ行くのだから、「キ」っという間にやってきたのかもしれない。気が付けば仕事を納め、忘年会を終え、12月28日、トランクにお土産用の空間を用意し、家の戸締りや諸々の器具の電源が落ちていることをしっかりと確認し、恋焦がれたキューバへ旅立とうとしていた。長くあこがれた野球選手の引退試合を見届けに行くかのような、そんな気持ちで。
八丈島:居酒屋で寝る女たち
そして再び肝試しタイムである。
宿でもらった周辺地図に載っていた「くじらや」を目指す。
ネットやドライブマップでは情報をあまりゲットできず、それが逆に興味をそそられる店だったので、向かってみることに。
古民家居酒屋とのことだが、古民家なるもの大体わかりづらい場所にある。
しかも暗い夜道・・迷子の末やっと着いたその店は奥まった場所にあり、庭には木だか竹だかが生い茂っていた。まるでジブリの世界だ。
店内に入ると、やはりジブリに出てきそうなかっこいいお婆ちゃん店員がアテンドしてくれる。
ラピュタに出てくる海賊の女船長・ドーラをベリーショートヘアにしたような感じ。
八丈島のおばあさんはみんな恰幅がいいなあと思いながら、座敷に座る。
二人とも芋焼酎のお湯割りを。1軒目でまぁまぁ食べていたが、〆の何かを食べたいねという旨を伝える。
じゃあ何か適当にご飯ものつくりましょうか、と。こういう注文の受け方をしてくる店のご飯は大体美味しいと思っているのでオーダー。
実は当時焼酎が飲めなかった私でも、島の芋焼酎は美味しかった。
名前は忘れてしまったが…八丈島で焼酎の美味しさに気づいたので、お土産には「江戸酎」という酒を買って帰った。
しっかりとした芋の香りが美味しいお酒だ。
それにしても不思議な空間だった。
ランチは子連れでも多いのだろうか、おもちゃ箱があり、暇つぶしに二人で「記憶お絵かき」をする。
相方の書いたゴジラはなんとも芸術的だ。(圧倒的NO画力なので、偶然の産物)
一番ホットなお題は「一人旅女」
彼女が私たちの旅を素晴らしく色づけしてくれたのだ。
現代社会の闇について考えさせられる機会にもなった。
私たちは再び一人旅女に思いを馳せる。
また来年、運動会を見に八丈島に来るだろう、つまり旅は続いていくということ。
そんなことを話していたら、店の居心地の良さに微睡み始めてしまい、寝てしまった。
その姿を撮る相方。
LINEに作っている「居酒屋で寝る女たち」アルバムにもう一枚追加だ。
八丈島:島の夜ほど怖いものはなし
この夜は宿の近くで、歩ける範囲で飲み歩こうとしていた。
最初に向かったのは居酒屋「大吉丸」。宿から店まではものの5分ほどだ。
しかし住宅街でもあるからか殆ど街灯がなく、えも言われぬ夜の怖さを感じる。
怖さは増す一方で、いつまで経っても目的地に着くことが出来ないような気がした。
少しでも足を止めようものならきっと目には見えない何かに飲みこまれてしまう。
夜がこんなに怖く感じたのは初めてだ。なぜだろう、島特有の空気感のせいだろうか。
きっと閉鎖的空間だからだ。精神的に参ってしまう怖さである。
遠くに目的地の店の看板が見えた時は泣きそうなくらいに安堵したのを覚えている。
事前に食べログで調べていたイメージよりもポップなフォントで書いてある「大吉丸」。
さっきまで地獄の肝試しツアーをしていたので、ハイテンションな方がありがたかった。
ドライブマップか何かで見かけ、コスパがよさそうなのと食べログの評価もいい具合なのでこの店にした。
どうやら移転したらしく、新しく建てたほったて小屋のような店構え。
食べログやドライブマップで見ていたイメージは移転前のようだ。
高校生の時よく行っていた安い焼肉食べ放題の店を彷彿とさせる。
地元の人でにぎわっているようだった。店内は広く、奥の方のテーブルに案内される。
「やはり島寿司でしょ」と、注文。
これが格別に美味い。
美味すぎて、あとは何を食べたかすっかり忘れてしまった。
地元の人に混ざり、野球中継を見ながらのんびりと飲んだ。
お値段もこのボリュームで1300円と、やはりコスパGOOD
八丈島ではどこに行っても明日葉の料理やカクテル等をレコメンドされるが、結局あまりトライせずに終わった。
なんだか桑の葉みたいで、小学生の理科の授業で飼っていた蚕を思い出すからだ。
八丈島:おばあちゃん達の湯
次に向かったのは「ふれあいの湯」だ。着いた頃にはもう暗かった。
入ると、パリピ気味な若者たちであふれている。
色黒ギャルズだ。ダイバーたちだろうか?八丈島にはダイビング目的で来る人も多いようだ。
みはらしの湯よりも、古くて趣のあるこの温泉は、特に露天風呂は雰囲気が良く最高だった。
温泉で、地元のおばあちゃん達を眺めるのが好きだ。きっと毎日のように通っているのだろう。
彼女らはお馴染みの風呂セットと共にやってくる。目をつぶりながらじっくりと湯に浸かる。
裏見ヶ滝温泉で出会った初老の男性のように、独自の入浴ルールでもあるのだろうか。
内風呂と露天風呂を行ったり来たりしたりして。
温泉が身近にある生活に憧れてしまうものだ。
そういえば、八丈島には「温泉周遊券」なるものが600円で販売されているらしい。
1日に2か所以上行くならばお得であるが、そんなに温泉入ったら体がふやけてしまう。
少しだけ星がきれいだったように思う。
島には街灯が殆どなく、風呂から宿までの道を不安に思いつつ、腹も減ってきたことなので一旦宿に戻ることにした。
八丈島:一人旅女
植物園を後にして、宿に一旦荷物を置きに行く。
宿は直前に取ったので、二日目はゲストハウスに泊まる。
ゲストハウス特有の共通スペースや、そこに長く滞在している旅人の生活感は大変苦手だ。
学生時代はゲストハウスに滞在したり、民宿等で旅人コミュニティを嗜んだりもした。
それでもやはり「旅大好き♪」カルチャーは少し苦手だ。
まだまだ八丈島には沢山温泉があるようなので、「みはらしの湯」へ向かうことに。
海沿いにある温泉で、その名の通り景観GOODの露天風呂だ。(内風呂もあり)
湯の温度がちょうどいい。ずっと入っていられるやつだ。
露天風呂は混雑していた。そういえば八丈島は女子旅が多い。
そんな中、一際目立っていたのは「風呂上りなのに全力でケバい一人旅女」だ。
赤い紅まで引いていた。
風呂に入るのに化粧を落とさなかったのか、入浴後に全力の化粧をしたのか。
流石東京都の島だなぁと思ったが、いやいや八丈島のオーガニズムに反しているのではないか?
風呂の後はコーヒーでもしばこうということで、初日に見つけた「古民家カフェ」に行くことにした。
古民家を全面に押し出しているところが気に食わないが、カランとした落ち着く古民家だ。
食器等もアンティークっぽくてすてきだし、コーヒーも美味しかった。
ふと気づく。逆サイドの席に先ほどの一人旅女がいることに。
彼女は微笑みながら、ノートに何か書きなぐっていた。
ケーキが届き、宮崎あおいリスペクト女名物、ミラーレス一眼レフカメラで撮影。
恐らくすぐにスマホに写真が送信されるようになっていて、恐らくインスタグラムに投稿していることだろう。
ノートには何を書いているのだろうか。ポエムとも日記ともいえないようなものだろうか。
何が悲しくて、何が楽しくて、まんきんのお洒落でカメラ片手に一人で八丈島に来るというのだ。
女性の闇というのは昔から深い深い井戸の底のような存在だが、
SNSの発達、現代のフェミニスト化、現代社会が女性の闇を屈折させてしまっている。
彼女の未来が明るいことを祈りながら、コーヒーを啜る。
八丈島:キョンを駆除しないで
依然悪天候の中、血迷った私達は次に植物園へと向かう。
植物には全く興味がないが、デカ公園好きなのでなんとなく向かってみる。
もしくはたまに少しだけ生まれる「旅行っぽいことしなきゃ感」に襲われたからだろうか。
道中立ち寄った「八丈ストア」にて、惣菜の豊富さに驚く。
スーパーに売ってる島寿司の方が安くて美味そう…どうでもいいけどこのチャーシュー丼とかとても美味しそう…
と、あそこ寿司で満腹であるにも関わらず目移りしてしまう私。
欲望を抑え、紗々を購入して落ち着く。
植物園たるもの、例えチープであれ楽園感に溢れているものだが、
悪天候のせいで既に廃業しているのではないかと心配になった。
入場料などはかからず、自由に出入り可能。
中へ入ると、八丈ビジターセンターがすぐにある。
ここでは島の自然や文化を紹介し、展示等も行っている。
光るキノコとやらを興味深そうに見ていると、島の子供が話しかけてきた。
八丈島の子供は人懐っこい印象だ。
一日目も、立ち寄ったソフトクリーム屋で子供が絡んできた。
なんだかこの旅には子供に縁があるらしい。
ビジターセンターを後にして、植物園の奥へ進む。
植物園、予想以上にデカいのだが、何しろ地獄感あふれているので早くも帰りたかった。
しかし少し進むと「キョン」という生き物が居るらしいので進んでみる。
↓キョンの参考画像
想像以上に可愛い。
鹿のような、カピバラのような、ウリボ―のような感じだ。
私は実家の犬が相当かわいい柴犬なのだが、実家の犬基準で動物を見てしまう癖がある。
大抵実家の犬の方が可愛いのだが、流石にキョンは実家の犬より可愛かった。
しかしふれあい牧場の牛たちと同じ表情をしていた。胸が苦しくなった。
因みに千葉県ではキョンが急増しており、駆除対象になっているそうだ。
八丈島:あそこ寿司
気を取り直して昼食は「あそこ寿司」へ向かう。
「八丈島 寿司」でググると一番上に出てくる、食べログ3.51の店だ。
グーグル先生と食べログ先生を信じきっているミーハーな私達ホイホイのお店である。
こんなアレレ?な名前でも、ここまで直球だと嫌味が無い。
きっと誰もからかいはしないネーミングだろう。
事前連絡するも混みあっていた為、席が空くまで時間をつぶすことに。
コーヒーでもしばくかと、あそこ寿司のすぐ近くにある喫茶店「ロマン」へ入る。
純喫茶風の店構えだが、中は見えないようになっており、営業しているかどうかわからない。
ドアにかかる「営業中」の札を頼りにドアを開けてみる。
すると誰もいない店内、奥から恰幅のいいお婆さん(おばさんとお婆さんの間くらいだが)が出てくる。
少し埃っぽい店内はどこか懐かしい感じだが、あまり心地のいい懐かしさではない。
「知らないおばあちゃんち」という感じだ。(そのままである)
どうもこの、「恰幅のいいおばあちゃん」のせいである気がした。
こういう喫茶店には、少し頼りない優しそうなおばあさんか、無愛想なおじいさんにいてほしいものだ。
ミーハー観光客の御託を並べつつ、コーヒーとホットミルクを頼む。
全く稼働していなさそうなキッチンで恰幅おばあさんがコーヒーを淹れる。
静かすぎる店内で、怯えるようにコーヒーを啜る私達。
気を紛らわすためにこの後の計画を立てつつ、あそこ寿司に思いを寄せる。
時間が潰せたので、あそこ寿司へ向かった。
ここではえらい無愛想なおばさん店員に接客をされる。(恐らく板長の奥様?)
お茶の出し方は漫画・ワンピースの効果音ばりの「ドン!」
メニューを伝えるもシカト、完全にキレているご様子だ。
その分板長は人のよさそうな感じで、「お待たせしてすいませんね」と気にかけてくれたりする。
オススメ的なメニューを注文し、出てきたのがこちら。
美味かった。文句なしに美味かった。
しかし下部に鎮座している巻き寿司よ、おまえは完全に「あそこ寿司」だ。
八丈島:牛を悲しませないで
そうは言っても「もうすぐ今日がおわる♪」わけにはいかないので、気を取り直して今日という日を楽しむことにした私達。
旅の醍醐味は「悔い」である。これが私達の旅における共通認識だ。
悔いがあることで、また来たいと思える。一回の旅で満足してしまえば、その場所はそれ限りだ。
八丈島では実にすばらしい悔いが残った。
大分運動会ネタを引きずりすぎた。
2日目はというと、まず「ふれあい牧場」へ向かう。
私は牧場が大好きだ。牧場が近くにある街で育ったからだろうか。
しかも「ふれあい牧場」、なんてすばらしい名前なのだのだろう。
私は運動会のことも忘れ、嬉々として牧場へ向かう。地獄の牧場が待っていることも知らずに。
牧場へ向かう道中、段々不安になってきた。車で八丈富士を登っていくのだが、悪天候のせいか霧がすごい。
本当に牧場があるのか?山を登るにつれて死が近づいているようにすら感じていた。
「←ふれあい牧場」という案内板を見つけた。死へと誘われている。
八丈富士の中腹で地獄に到着した私たち。
無駄に広い空間に、まばらに散らばる牛たち。みなうつむいている。
「うしー!」と読んでみても反応がない。
私の地元にある某M牧場の、人間慣れしている牛たちと比較してしまう。
そしてここに人はいなかった。スタッフ、飼育員さえも見当たらない。
ただそこに牛が生きているだけだ。ふれあいの「ふ」の字もない空間だった。
八丈島はジャージー牛乳が有名であるにもかかわらず、ここには肉牛しかいないことも不思議だった。
「これは何かの間違いだったのだ」と思うことにして、早々に牧場を後にする。
なぜ牛たちはあんなにも悲しそうな顔をしていたのだろうか。